飛び起きて30分ほど経って振り返ると、あ、自己紹介にもなるんじゃないかと思えるものでした。
起きて最初に時計で時間を確認したら午前10時48分。夢は色鮮やかで、音楽もくっきりはっきりしていました。
鮮やかと言っても黄色いゼッケンが鮮烈で、それ以外は薄く色づいているものだったかもしれません。でも、手曲がりの鉢は茶色でしたし、リアル感からかけ離れた印象はありません。
秋を感じると運動会の夢を見ますが、わたしはマラソンに参加していました。恐らく先頭集団の後ろの方に居るグループの中のようです。そのグループに女性は他には居ませんでした。
コース中間の管理エリアを通過するところで、暫く休憩しようということになった。そもそも何キロ走るレースなのかは知らない。終わりの地点が予測できない人生のちょっとした寄り道のようです。
テレビでアニメか、探偵ドラマをマラソン放送しているのを漠然と見ている。音楽が終わって、次の番組のテーマ音楽が始まる。これははっきりと『砂の器』のテーマ曲だった。耳に残る引きつるようなフレーズは、その直前の音楽が『悪魔の手毬唄』のテーマ曲だったかもしれない。
FM、CDが目が覚めた時に再生されている日はありますが、今朝は電源も切れていたので曲目が分かるほどはっきりしているのは不思議。
身体を動かした後の心地良い疲労感だけが残っています。
そのテレビを観ていて誰かが『もう走るのをやめよう』と宣言する。わたしも同意するように男たちについて言ってマラソンコースを離れた川べりのスペースに移る。マラソンコースの音は感じられるけれども、全く違う世界のようだ。
わたしはマラソンのゼッケンを付けた運動着から身体を開放させた。
暖かい日差しと川のせせらぎの音。身体に感じる心地よさは終わりが無いように続いた。耳に届く男の声だけが代わる代わる替わった。
どのくらいそうだったのでしょうかね、マラソンはゴールしている選手が続いているようで、中間地点のチェックポイントの結果からゴールがまだのゼッケン番号が発表されていた。
管理センターに届けられたビニール袋に入ったウェアのゼッケン番号が読み上げられる。「21◯◯◯」・・・。
わたしの番号だ、わたしは男たちの森を振り払い中間管理センターに舞い戻った。受付の人は生白い身体の訪れに驚いただろう。
『もう一度走りたい』
そう言い切ったわたしに、狩りのゼッケンを作ってくれた。この裸のままでは走れないというと宇津井健に似た男性がウェアを調達してあげると言ってくれた。
その約束するような声の調子が赤い衝撃での山口百恵を励ます口調を思い出させた。
どうも鶴屋クラシックサロンの帰り、待ち合わせ場所にしていたかっぱの本屋さんで立ち読みした『ダブルファンタジー』、『金田一耕助 VS 明智小五郎』、『うそつきアーニャ』と『赤いシリーズ』のDVD本の広告が中学校卒業したら高校はどうするのとか人生最初の選択を求められていた時期の体験と混ざって夢になってみたのだろう。
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